今、明想を非常に勘違いしている方々が世界に多いと思います。
明想とは真の自分が何であるか、すべての存在の根源が何であるかを自覚するために、実感するために、明想を理解してもらいたい。
その明想はけして外に求めるものではなく、自分の内側へ、内側へと意識を持っていくことが明想であり、明想という手段を通さずして、本当の我に融合できた者はいないことを知ってもらいたい。明想を通さずして本質を知ることもできなければ、明想を通さずに本当の至福を得ることもできません。世界の皆さんに本当の明想というものを理解してもらたい。
明想はただ目を閉じて座っていることのみが明想ではなく、日々の生活の中で常に内を意識していることそのものが明想であること。外を見れば結果です、外を感じれば結果です、結果はいつかは朽ち果てていきます。しかし皆さんが内側を理解することができるならば、そこに真の自分を神として、すべての存在の根源が神として、皆さんはとらえることができるでしょう。明想は不可欠なものです。
けして明想は難しいことではありません。食事をしている中にも、友達と語り合うにも、仕事をしている中にも、常に内側に意識を向けていることそのものが明想であることを理解してもらいたい。我、常に神を意識していること、我、常に愛を意識していること、それそのものが明想であり、何も形をつくって何時間も、何十時間も座っていることが明想ではありません。
明想は一瞬、一瞬の中にあること。常に内側に意識が向いているとき、常に内を自覚しているとき、それこそ明想と理解してもらいたい。何十年、山や洞窟にこもっても、内側なる神の自覚がないならば、それは明想とはいえません。明想という手段を通せば、全体の中に我を感じ観ることができるでしょう。
我は全体であり、全体は我なり。我はすべてであり、すべては我なり。
神我一体の境地、まさにオーバーシャドーといえましょう。
けして分離した個人なんて、どこにも存在しないこと。その個人という個我なる者を通して、大いなる力を、大いなる智慧を、大いなる愛を顕現するために、個我という一人一人が与えられていることほかにありません。しかしその個我は全体とひとつであり、全体と一体であることを理解してもらいたい。明想という正しい手段を用いることができるならば、誰しもがそこに到達していくことが可能でしょう。
明想は特別な人間が用いるものではありません。イエス、仏陀、すべての偉大なる方々が明想、内観を通して、真実の自分が神であると到達したことほかにありません。到達した方々はけして自分が肉体という錯覚ではなく、我神なり、我真理なり、我は愛なりと断言して言い切っていることでしょう。
我々も共に明想という正しい手段を用いて、本当の自分に到達していきたいと思います。明想を正しく理解して、正しく明想という手段を用いれば、誰もが目的である神への到達の道が開かれていくことでしょう。共にがんばりばしょう。
全国、世界、誰を訪ねても望むことは世界平和。
しかし人間にはなぜ、平和がないのか。個人的な平和を望んでも、個人的に平和が満たされていることはありません。
我々は全体として一つ、一つとして全体であるが故に、全世界、全宇宙の調和、平和でないかぎり、己の平和がないことを知ってもらいたい。皆さん一人一人が全世界の平和を願えるあなた方になってもらいたい。
イエス、仏陀、誰もが願ったことは全世界の平和であって、個人的な平和を願った者はおりません。
私もそのとおり、物心ついてから願ったことは、ただ個人的に幸せ、個人的に健康、個人的に金持ちを願ったことは一度もありません。私の願うことは全世界が平和でありますように、全宇宙が調和でありますように、そこに己の平和があることを知ってもらいたい。
なぜならば、我々一人一人は本質においてはひとつ。
それを私は常にこのように説明させていただいております。
神は一にして多身。姿、形、形態は異なっていても、表現の方法は異なっていても、生まれ出てきた場所、環境は違っても、皮膚の色が黒かろうが、白かろうが、本質である神にはなんの分離、差別も存在しません。
一人一人が早く大いなる神を一体の神として理解できるならば、宗教で争い、人種で戦争、国々の対立はけして起きることはないでしょう。そうあるためにも一人一人が早く自分自身の本質に目覚めてもらいたい。
自分自身が神であることに一人一人の目覚めがないかぎり、世界の平和とは繋がりません。私だけ、個人的な平和なんてありません。個人的に私だけの幸せはありません。
全世界の平和であって、我が平和であること。我は全体であり、全体は我なり。我はすべてであり、すべては我なりという境地に一人一人が至ったとき、そこに真実の平和を見出すことができるでしょう。みなさん一人一人の心に愛が満たされた時、全世界へと愛が満たされていくでしょう。
けして幸せは金や、物や、物質をつかんでいることが幸せではありません。どんなにこの世の物をつかんだところで、それは一時の幻、一時の影にしか過ぎません。ゆえに仏教では、この世は無常世界と説きます。常には無い世界。私は影、幻、幻影にしか過ぎぬと説きます。影から目覚めよ、幻から目覚めよと、夢から覚めよと。そこに至ってからこそ本当の幸せが、本当の世界平和が、皆さんの心に灯されていくでしょう、全人類の心に灯されていくでしょう。
共に助けあい、共に手を取りあい、足りないものは補いあい、良いものはわかちあい、世界はひとつ、人類はひとつ、宇宙はひとつ、宗教はひとつ。
一人一人が、早くその一体感に目覚めてもらいたい。そこに至ってこそ世界の平和、全人類の平和、宇宙の調和と繋がっていくことではないでしょうか。
一人一人が全体意識、無限の中に融合してもらいたい。無限の境地に至るために、日々の明想の手段もけして怠ってはなりません。明想という手段がいかに皆さんを目的に近づけてくれるか、それも理解してもらいたい。
共に頑張っていきたいと思います。
調和ある人間関係であるためには、一人一人が、その一人一人の中に内在する神を理解することほかにありません。
分離、差別の中に、どうして真実の人間関係が生まれてくることか。
人間意識、肉体意識、個人意識から神性意識へと、霊性意識へと、仏性意識へと一人一人が目覚めて、すべてのすべて、在ってあるものの中に内在の神を見ること、内在の神を理解すること、内在の神を知ることができぬかぎり、分離の中に美しき調和ある姿を見ることはできません。
曇りなき心に美しい姿、すべてに神の実在を見るためには、まず一人一人の心から分離、差別という観念、概念を取り除かねばなりません。
人間意識、肉体意識、個人意識という分離の中に調和があるはずがありません。我々一人一人が、動物、鉱物、植物、人間、すべてのすべて在ってあるものを通して、そこに内在の神を感じとってもらいたい。
神ほかに、なにが実在しましょうか。神を盲信、狂信、偶像崇拝なる神に追い立てて、非常に人類は勘違いをしています。神は万物を通して生きる生命であることを知ってもらいたい。動物、鉱物、植物を支えて生かしているのは宇宙生命エネルギー、それこそが真の神であること。
日本でも神は神社、仏閣、お寺、教会、宮に求めさせましょう、非常に勘違いをしていることではないでしょうか。日本では盲信、盲の信仰と申します、狂信、狂った信仰と申します。それでいて真の神が見れるはずがありません。
一人一人に真実なる神を見るためにも、皆さんには明想という正しい手段を用いてもらいたい。その明想が深まれば深まるほど、全宇宙へと、全世界へと、すべてのすべて在ってあるものの中に、神という実在を実感することができましょう。
そのためにも我々は明想という正しい手段を不可欠なものとして、日々の生活の中に明想を使える皆さん一人一人になってもらいたい。
それはお金もいりません、けしてそれは難しいことでもありません。皆さん一人一人が常に内側へ意識し、そこに神を実感した時に、すべてに神が実感できることであって、外に神を求めるなかれ、神は我が内に在り。神は我が内に在り、いまだかつて人手に渡ったことはない。
日本のことわざに、青い鳥を求めて全国、全世界を旅したところで外に青い鳥を見出すことはできなかった。しかし探し疲れて、探しあぐねて、我が内に意識を向けたときに、手よりも足よりも、はじめから身近な我が内に、神を見出したという例えもありましょう。
神は我が内に在り、いまだかつて人手に渡ったことはない。
神は我が内に在り、外に神を求めるなかれ。
これは最高真理ではないでしょうか。イエスも仏陀も、けして外に神を教え説いたものではありません。常に明想せよ、常に内観せよとは、我そのものが神であることを見つめなさい、すべてが神であることを見つめなさいと。
分離、差別の中に人間関係が良くなるはずはありません。真実に愛を実感できぬ限り、都合良いから愛します、都合悪い者は愛せない、都合良い者は赦せる、都合悪い者は赦せぬという偽愛は使い生きることはできても、真実の愛を使い生きることはできぬだろう。
真実の愛であるためには、全体へ神が、全体に愛を、全体に宇宙真理を見れる、感じとれる、一人一人でないかぎり、そこに真実の人間関係も、調和も、全世界の平和もないことを知ってもらいたい。
みなさん一人一人が神の存在です、万物が神の存在です。ただ形あるものの中に神は生命として、すべての中に化身していること。特別な人間だけが神ではありません。特にキリスト教では、イエスは神の一人子、イエスだけが神を悟れる、それでは普通の人間はなにを意味するのかと、単なる人間として無知、無力、迷いおいて生きるべき存在なのかと。
一人一人が無限の能力、一人一人が無限の智慧、無限の力、無限の愛の表現体として今、神はすべてをとおして化身していることを知ってもらいたい、共に真実なる神が理解できるならば、今即、無限の実在であり、その無限はいついかなる場所でも智慧として、力として、愛として、光として顕現できるではないでしょうか。
我は光なり、我は神なり、我は愛なり、それを多くの方々に理解してもらいたいと思います。
けして間違った信仰から神を得ることはできません。間違った信仰から神を自覚することはできません。常に正しく我が内に明想という手段、内観という正しい方法を用いて、無限という大海が我が中に融合していけることを知ってもらいたい。
大海にしみいる一粒の滴、一粒なる我が、一滴なる我が、我が中に無限という大海を見出したときに、そこに神との融合、本当のオーバーシャドーという境地に至っていけるではないでしょうか。
間接的オーバーシャドーでもありません。我は神なり、神は我なり、我と神とは常に一体なり。これが最高な境地、真のオーバーシャドーといえるではないでしょうか。そうあるためには、すべてのすべて在ってあるものの存在が神である理解を、まず我々はつかんでもらいたい。共に努力していきたいと思います。
皆さん一人一人には神なる根源の中に融合できるように、はじめから備わった力、無限の意志、忍耐、勇気、努力、その四つをみなさんが理解できるならば、誰もが根源の中に到達されていくことでしょう。
意志と忍耐と勇気と努力は、皆さんの中に内在したる宝物です。それをもってして、無限という神の中に融合できることを、みなさんにつかんでもらいたい。
共に一歩一段、本質に向って進みいきたいと思います。
バランスを非常に勘違いしている方々がいると思います。
けして我々はこの現象という世界に肉体を持って生きるかぎり、生かされているかぎり、物質を否定して生きることはできません。物質と霊的な面とは常に一体であることを理解してもらいたい。見えるものと見えないものとは、常に表裏一体です。
日本では原因と結果と申します。結果という現象我が存在するためには、常に原因があることを知ってもらいたい。原因は、結果を通して己の顕現があることを知ってもらいたい。けして神を求めることは、お金や物や物質を捨てるという意味ではありません。
バランスを例えで話すならば、沖縄の三味線、ギター、バイオリンという弦楽器はチューニングがされてなければ、良い音色を放つことはできません。ゆるみすぎても良い音色を放たなければ、また、引きすぎれば切れることほかにありません。しかしチューニングを終えた弦楽器からは、美しい音色を放ちます。
我々もその通り、見える自分と見えない自分、原因と結果がバランスとれた時には美しい音色を灯すでしょう。その音色は伝導体である肉体を通して、愛の音色、智慧の音色、力の音色、光の音色として燦然と輝いていくでしょう。
神は日々の生活の中に、与えられている職場の中で智慧として、力として、愛として、光として顕現することが神の絶対なる存在であること。だから神は皆さんの内で、常にみなさんに訴えかけます。
汝、盲信、狂信、偶像崇拝するなかれ。
坐して神を拝むことなかれ。
神は、私を生きよと説いています。
神を正しく理解し、正しく神を顕現できることが本当の神信者、本当の神信仰者であること。言葉に愛を、想いに愛を、表現に愛を。常に私の光話は、今日も愛で目覚め、愛でこと為し、愛で今日の一日を生きるあなた方でありなさい。
私の生き方は、愛するは愛されるよりも美しく、すべてを幸せにする、というこの絶対なる愛を顕現できたとき、皆さんの心は愛、調和と整い、おのずと無限の至福へと、喜びへと、やすらぎへと導かれていくことでしょう。
私はけして金、物、物質を否定するものではありません、粗末に扱えという意味でもありません。ただお金や物質が、何のためにこの現象の世界に存在しているのか、その理解を深めた中で皆さんがバランスをとった意識状態で、そのお金、富、物質を使い生かせるならば、お金で戦争や対立、テロという事件が引き起こされることはないことを理解してもらいたい。
共に真実なる神を理解し、この物質世界をどのようにして皆さんが理解し、バランスをとっていけるか。それが大きな我々のテーマだと思います。そこに至ったとき、世界はおのずと調和ある世界へと、平和ある世界へと必ずや建設されていくことでしょう。
けしてこの地球が勝手に天変地異、天候異変を引き起しているのではありません。たとえば物質が陰として、霊的な面が陽としてここにバランスで、この大宇宙が存在というならば、今まで人間が物質という陰にかたよった結果、地球は天変地異、天候異変、諸々の現象を引き起しただけに過ぎません。
人類一人一人がバランスへと、調和ある生活へと立て直しえるならば、おのずと大宇宙も世界も地球も、愛バランス整っていくことでしょう。ゆえに一人一人が真実なる我を神として、真実なる我を愛として目覚め生きていきたいと思います。