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我 蘇りなり 命なり
その境地に至ることを みなさん真我覚醒といいます(中略)
今 謝さんが肉体をもってして皆さんの前で通訳をしています しかし謝さんもいつかはこの肉体去ります みなさんはそれを死といいます
死んだ人間を生かしたことを蘇りと今 勘違いしています
死んだ人間を生かしたとて蘇りではないんです
本当の蘇りとは一人一人が本質 命を自覚して生きていることなんです
みなさんが我 肉体なりの錯覚で生きているかぎり どんなにみなさんの病を癒したとて悩み苦しみから解放させてあげたとて真の救いではないんです
もちろん病気を癒すなではありません
けして悩み苦しみから解放されるなとは言っておりません
悩み苦しみから解放された方がいい この不調和な肉体癒された方がいい
それは私は否定はしません
しかしただみなさんが肉体癒し
ただ一時悩み苦しみから解放されること
それを救いと勘違いしてはなりません
だから救い救うは二通りのパターンがあるんです
永遠の救いなのか インスタントの救いなのか (中略)
本当の救いとはあなたがたでしかできないんです (中略)
宗教を学んで悟るではないんです
あなたがた自身自ら自分というものを追究し 自分というものが命であることを見出したとき悟りの境地というんです (中略)
すべては何によって創造され 何によって生かされているのか
すべてを創造し すべてを生かしているのは命なんです
命をみなさんは神としてあるいは仏としてキリストとして仏陀として さまざまな表現方法を使っているだけにしか過ぎないんです
ここにすべてを創造し すべてを生かしている無形 無双 無色 無臭 無音なる本質があるとします
その原因である本質は無形 無双 無色 無臭 無音ゆえに己を顕現することができないんです
己を顕現するためにこの道具という肉をまとって この地球という現象の世界で顕現しているんです
だから今 美しく咲き誇っている花々は本質の顕現なんです
かならずしも人間だけが本質の顕現体ではないんです
植物も動物も鉱物も形あるもの姿あるもの
すべて本質を現わし示すための道具にしか過ぎないんです
道具が私です 道具があなたがたです これを錯覚迷いというんです (中略)
ここにたとえば幸せがあるとします
ここで座して神を拝んでも幸せなんて得られないです
幸せを得たいならば 自ら幸せに向かって努力して歩まねばなりません
自らその手で幸せを勝ち取らねばなりません
座して神を拝むことなかれ 盲信 狂信 偶像崇拝することなかれ
百メートルのゴールがあります 百メートル向かってスタートラインがあります
私がたとえばみなさんと同じように百何十名そのスタートラインに立ちます
ピストルの合図でスタートを切ります
一歩進んだ者は一歩だけここはもうゴールを縮めるんです
二歩進んだ者は二歩進んだだけゴールを縮めるんです
しかしここにただ座っている者は絶対ゴールを縮めることはできないんです
もうそろそろ我々は気がついてほしい (中略)
先ほどヒーリング中に どうすれば花々と鉱物と動物と自由に話し合うことができるんだろうという質問がありました
あなたがたが中国人 日本人 アメリカ人 ヨーロッパ人 インド人 あるいは女性男性という分離がない 唯一の本質を命として すべてが生かされている理解ができるならば自在に話し合えます
あなたがたがこの花々に向かって美しい綺麗 この生け方すばらしい これは愛の波動です
その愛の波動与えられればこの花々は踊り喜んでるんです また破壊的な波動与えられたら悲しむんです 泣くんです (中略)
これはもう小さいときから さんざん私はその体験しているがゆえに断言して言い切れるんです
花々も動物も鉱物も人間のように喜びもある 悲しみもある 笑いもします 泣きもします
自在にそれを見えたんです 小さいときから
あるとき友達にお茶飲みに誘われました どうしてもお茶飲みに来てほしい
門から玄関までの距離に三本か四本 ちょうどおなかの部分が膨れているトックリヤシというのが植えられていたんです 四本だったと思います記憶では四本
私その玄関から友達の家に向かって歩いていると涙ぽろぽろ涙流して泣いているんです
この涙はね写真にも写るんです いつか私その写っている写真 もうブルーの綺麗な涙を流しているんです 写真写っています ぽろぽろ涙流して泣いているんです このヤシが
「何が悲しいの 何がどうして泣くの」って私がそのヤシに訴えました 自在に話ができるんです そしたら友達が火を燃やしてゴミを
「なぜ泣いているの」 「火を燃やしているから熱い やけどする 熱い この火をなんとかしてくれ」と言うんです 友達は木々と話ができないから平気で火を燃やしているんです
しかし私にはこの花々の気持ちがこの木々の気持ちがわかるがゆえに訴えたら 「熱い熱い この火をなんとかしてくれ」と言うんです 友達が厚い壁を作ってあげました ここに
私 誘われてお茶一杯飲もうとしました
あのお茶碗持ち上げてお茶飲もうとしたときに 私の意識の中に三本か四本の助けられたヤシが私の意識に現れて 「やけどから免れた ありがとう」って私に訴えに来たんです
お茶を飲んでいるときです ちょうど日本では床の間というのがあります こういうあの掛け軸を飾ったり花々を飾ったりする床の間というのがあるんです その床の間に琴が斜めに立てられているんです 琴が
その琴が「もう前の持ち主に帰りたい 前の持ち主に帰りたい」 ぽろぽろ涙流して泣いているんです
いろいろなものが今日は泣く日だなと思ったんです私 木々はこのヤシは熱い熱いで泣くし この琴は前の持ち主に帰りたいと泣くし なんて今日は泣く日なんだろうと思いました
前の持ち主に帰りたい 私は泣いている意味知らなかったんです 私 友達に言いました
この琴は前の持ち主に帰りたいで泣いていますよと涙流して泣いていますよと私 友達に訴えました
その理由が後でわかりました 友達の奥さんが琴の先生なんです
その友達がその奥さんの友達にいくらかの何百万かのお金貸したんです しかしその借りたお金何年も返せないんです もうそのお金なかなか貯金できない それ返せないから私が大事にしている琴をもう引き取ってほしいと言われて持って来たというんです
だから琴にもすべてに命があり意識がありますから
これは高級な琴だったといいます 高級な高い琴ですから私の友達の奥さんは琴の先生ですからその琴を弾いてみようと思うんだけど どうしても弾けないというんです
この琴を弾けない 弾けなくてまたちゃんと納める袋に入れて床の間に立てる またいつか弾こうとするんだけどまた弾けなくてまた片づける それ何回も繰り返していたというんです
しかしそれ後でわかったことで ただ私はその友達に あなたのここに置かれている琴は涙流して 泣きながら前の持ち主に帰りたいで訴えていると言ったらびっくりしていたんです 友達は
それで私はお茶一杯ごちそうになって家帰りました 夜中に明想しているときです
夜中に明想しているときに私の意識の中にまた琴の意識が ちょうどトックリヤシが私の意識に映ってきて さっきはありがとうと言ったのと同じで その琴が私に訴えるんです 「ありがとう」って「前の持ち主に帰れました ありがとう」と言うんです
私 友達からそれ聞いてないもんですから なんの意味なんだろうと思ったんです
翌日職場へ あの昨日前の持ち主に帰りたいって涙流して泣いていたその琴は 私にありがとうと言ったんだけど どういう意味なんですかと聞いたら 奥さんの友達にお金貸して それを返せないゆえに琴を引き取ってくれってそこに引き取ったと言うんです
私に完璧に言われて 一点の狂いもないその言葉を投げかけられて そこですべては命があり命そのものが同じ意識であることを初めて知ったというんです
あぁ人間だけが命に生かされているのではなく 形あるもの我々の見ているものすべてのすべての本質は命であることを理解し その命がその意識が元の持ち主に帰りたいと私に訴えたんだから それを返してあげようで返したというんです
その私が帰った後にはもうお金もいいから あなたが大事にしていた琴もこれも引き取ってほしいで返したというんです
前の持ち主に返されたがゆえに 夜中に私の意識にその琴が現れて「前の持ち主に返されました ありがとう」って訴えるんです
だからあなたがたが命という本質は 宇宙を生かす命 地球を生かす命 人間 動物 鉱物 植物 微生物すべてを生かしているのは すべてですよ すべて すべてはひとつの命の中に生かされ ひとつの命がすべてに生きていることが理解できたとき
我 命なり あなたがたも命なり 我の命 あなたがたの命は全体の命 全体の命こそがすべての原因本質 それが理解できたらみなさんは なにものとも自由自在に話し合うことができるでしょう
それどころではないですよ ただすべてと話し合うのみではないです
この地球はすばらしい平和な地球と立て直されます なぜならば今 戦争で殺しあっている姿は人種差別 宗教宗派の分離 国と国との対立で戦争で人間は人類は殺しあっているんです
しかし我 命なり あなたがたも命なり すべての命がひとつであることを理解してみてください 我の命 あなたがたの命 あなたがたの命が我の命 我あなたがたの命はすべての命 全体の命であるならばもうそこでは誰とも争えないんです もうたったひとつの思いしかないんです
人類はひとつ 宗教はひとつ 世界はひとつ 宇宙はひとつ 無限の本質一元しかないことを知ります (中略)
人類はひとつ キリスト教 仏教 ヒンドゥー教 ユダヤ教 密教 イスラム教 ジャーナー教どの宗教説いたってその本質は変わらないんです
私 沖縄に生まれて育ちは南米 南米に行きも帰りもさまざまな国々を見てまいりました あるいはまたセミナーでもアメリカ ヨーロッパ インドもうさまざまな国々でセミナーをさせていただきました
しかし生まれたその沖縄で見た太陽 育った南米で見た太陽 セミナーセミナーでさまざまな国々で見た太陽 どこで見たって太陽はいぜん太陽だったんです 沖縄で太陽を見たとて南米で太陽を見たから月に変わったことないんです 太陽はどこの国でどの位置から見たって太陽はいぜん太陽なんです
そのように我々はどういう形 形態 姿をとっていても本質はひとつの命としていぜんその本質は本質なんです (中略)
だからたまには大声で錯覚から覚めよ 幻覚から覚めよ 夢から覚めよ なぜならば夢から覚めぬかぎり無限の智慧 無限の力 無限の愛なんて顕現できないんです なぜならば我 肉体なりの錯覚 肉体には智慧も力も愛もないんです
肉体という道具を使って智慧を力を愛を表現しているのは命そのものゆえに 命を自覚したとき無限の智慧 無限の力 無限の愛を自在に顕現するんです 我 命なり 我 命なるゆえに無限の智慧 無限の力 無限の愛の泉 宝庫 我が内にあり はっきり言えるんです (中略)
常に常にすべては無限の中に生かされ無限がすべての中に生き働いているんです 個人主義なんてないんです 全体意識はあっても個人意識なんていない
だから利己主義で自分さえよければいい自分の家庭さえ守っていればいい自分の国さえ豊かであればいい 一番一番低い意識状態というんです (中略)
盲信 狂信 偶像崇拝 私はあなたがたを救いますなんてないです
私とは何なのか 私とは本質なんです
あなたがたとは誰なのか あなたがたとは本質なんです
ならばあなたがた自身でその本質を自覚したときに あなたがたは救われているんです
真の蘇りとは死んでる人間を起こすことが蘇りではありません
はっきり我 命なり すべては命なりで自覚をしたときにこれ蘇りというんです
もし宗教をみなさんが学びさまざまなセミナーを参加して学び そこで説いている者が一点だって分離という分離を持っているならば言葉に思いに表現に分離が見られるならばそれは本物ではありません
本物であるならば常に常に一体を説いています (中略)
自らが自らを救うんです
私があなたがたを救いますと現れる教祖ならば
それは大きな錯覚であり間違いです
あなたがたは本質を宿しているんだから ちゃんと
あなたがたの中に本質はなくて私だけに本質があるならば 私はあなたがたに売りもします 多額な金で請求もします
しかし本質は今即 無限にしてあなたがたの中にあるんです
あなたがた自身であなたがたを救うんです あなたがたの理解力があなたがたを高めるんです
ただ我々は自らが歩んできた正しい道を 間違いのない道を ケルビンさん麻里子さん私 みなさんにそれをアドバイス説いているだけにしかすぎません
私は誰一人だって救うことはできません アドバイスをしているだけ
私があなたがたを救いましょうは偽せ者です また多額な金を請求するならば偽せ者です
なぜならば真理という本質は金持ち貧乏 子供 おじいちゃんおばあちゃん年老いている者まで 学のある者ない者 すべてのすべてが平等に学べて誰もが幸せになり誰もが本質に帰れてこそ真理であって 金のある者のみが救われる 金ある者のみ学べるというならばこれは偽せ者です
真理という本質は金持ち貧乏 健康病人 学のある者ない者すべてにおいて平等なんです
本質は人の上に人を造らず 本質は人の下に人を造らず
すべてのすべての内で本質は平等であること 私が私が私がはありません
逆に本質を知っている者は
すべての働き手であるとともにしもべであり
しもべであるとともに働き手であること
大いなる者は仕える者となりなさいなんです
我を悟っている者ほど稲穂のように頭を垂れる
私が私が私がでいばることはありません 私が私がで偉い者はいません
すべて本質においては一点狂いのないすべてが平等であること
今生こそ真実の理解をもって我々は根源の世界に帰りいきたいと思います
ありがとうございました
本当に香港でケルビンさんのセミナーを受けている方々 学んでいる方々 私は幸せに思います
ケルビンさんは結果というこの現象の世界の面でまた霊的な本質の面でバランスのとれた生き方をしています
本当にケルビンさんのセミナーを受けている香港の方々は私は非常に幸せに思います
またたまにはこの沖縄でともに学び成長していきたいと思います
ありがとうございました