「 我 光なり すべては光なり 」   2018.11.20 命ぬ琉球   一部抜粋

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2018.11 命ぬ光話 「我光なり すべては光なり」 縦書き.pdf
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光なり すべては光なり

しかし私が説いている光は電気の光 太陽の光ではないんです

無形夢双 その原因こそを 愛であり光であり智慧と私は説いているんです

 

もちろん無形無双なる本質はみなさんに

このような光でみなさんに見せてくれるかもわかりません

しかし真実説きたいのは無形無双なんです(中略)

 

これはいつも体験しているんです(中略)

私はチェックアウトするときはかならずすべての掃除

綺麗に部屋を片づければスーツケースをドアから向こうに出せば かならず一礼します

一泊の宿泊あるいは二泊の宿泊 心から感謝します

 

で一礼したときはもう己がないんです この肉体の己が

その部屋も形の結果なる部屋がないんです 完全に光一元となるんです

 

だからみなさんが本当に心を尽くし思いを尽くし精神を尽くし魂を尽くして

そのものに向かうならば かならずその結果をみなさんに見せてくれるんです(中略)

たとえば水をたとえましょう(中略)

 

氷は冷蔵庫から氷取り出せば みなさん氷という形は見えます

その氷をバイブレーション上げれば水になります

水のバイブレーションを上げれば気体となっているんです

みなさんの目に映し見ることができるでしょうか

 

氷から水 つまり個体から液体 液体までは見えます

気体からはみなさんの目に見ることはできないんです

これがバイブレーションの上がりなんです

形としてそこにあるかぎりはバイブレーションが低いからこそ形としてあるんです(中略)

 

波動とは意識なんです 意識とは波動なんです

バイブレーションを上げたいならば意識を上げること(中略)

 

意識が上がったとき バイブレーションが上がったとき

もうあの人許せない あの人嫌い あの人憎い あの人愛せない

恨みや怒りや嫉妬 心配不安恐怖

 

すべてのすべてを超越したとき

バイブレーション上がっている体験をするでしょう

 

一点だってこの世的なものを思っているかぎり 意識置いているかぎり

絶対バイブレーション上がりません

 

じゃ私健康です なにを見てましょう

肉体を見ているから健康ですなんです 

肉体を見ているから病人ですなんです

無形無双 無色無臭無音なる本質は そのようなもの一点だってないんです

 

この世的な思いが一点でもあれば そこにひっかかりができるんです

みなさん一点でも汚れを付着させていながら

綺麗ですって みんさん言うことができるでしょうか

 

 

まぁヨーガでは息とかそういうものを呼吸法とか

そういうまた教えもあります

本来はもうみなさんに混乱させないように

肉体にあらず心にあらず 感情五感理性にあらずで そこで私は止めています

 

しかし最終はどうなのか

一番一番最後最終は 息にあらずまで到達するんです(中略)

 

だからある聖人はあなたがたが

ただでこの世の息をしているかぎりは 兄弟姉妹へ尽くす義務があるというんです

息吸わずしてここに肉体を置けたときに そのときその義務から解き放たれる

という表現をしているんです(中略)

 

 

この世の水は飲んでも飲んでも渇きます

しかし本質をみなさんが飲むことができるならば二度と渇くことはない

 

しかしそれはある女性が井戸に水を汲みに来たとき

永遠に渇くことのない水を飲めと言ったとき

その女性はこの世に永遠に渇かぬ水ってあるのかと言ったんです

 

その本質を受け入れさえすれば永遠に渇くことはない

つまり智慧も力も愛もその泉から宝庫からこんこんと湧き出てくるだろう

これが永遠不滅の水と説いたんです あるいは命と説いたんです(中略)

宿題はみなさんの前に積まれている障害は試練は

すべてそれを乗り越えて 成長して

みなさんは根源に帰り行くためのことであって

 

今の状況が苦しい もう家庭の事情が悪いから私自殺して

死にます 死んでみてください

死んで死ねるものなんてこの宇宙に一物(いちぶつ)もないんです(中略)

 

形組み立てたこの肉体という質量を崩したって質量は不可視の質量に帰ることであって

永遠に質量は失われることはないんです(中略) 

 

  

 

自分の背負ってきた一つの思い癖 一つの悪習 悪い癖です

悪習を克服するということは命がけなんです 簡単に克服できるものではないんです

 

しかしみなさんには簡単にできる方法が与えられているんです

早く明想という手段をとおして実相に触れることです

 

実相という波動に触れさえすれば

今までのどんなに背負ってきた邪悪なカルマでも最悪なカルマでも

我を明想するものにカルマなしとみなさん言えます

一つ一つ消すものではありません

即我本質なりという境地に入っていくことです

 

こんなすばらしい宝物が与えられているのに

なぜその宝を使おうとしないんだろうって不思議に思うんです

 

我肉体にあらず我命なり 我肉体にあらず我真理なり 我肉体にあらず我本質なり

みなさんそれ以上の宝物がどこをどこを探し求めてもそれは見つけることができぬということを知らねばなりません(中略)

 

 

もちろんみなさんに肉体を粗末にしなさいではありません

肉体は本質を表現するための大事な表現体 大事な伝導体 大事なこの道具です(中略)

 

この結果というこの現象の世界で 我々は本質を 我々は表現していくんです

あるいは演じていくんです じゃその演技はなんなのか

与えられているその役割で 愛そのもの 智慧そのもの 力そのものを

みなさん演じていくことです(中略)

 

どんな演技を与えられていても

その演技の中で 愛そのものを確立していればそこに悟りがあるんです

 

王という役割についてこそ悟りがあるというならば

七十億の人間が争って王になりたいですよ  そのようなものではありません

花々もしっかり演じているではないでしょうか 鉱物もしっかり演じているではないでしょうか 動物もしっかり演じているではないでしょうか

だから我々も与えられた役をとおして我 神として愛を顕現していくことです(中略)

 

じゃ根源本質が愛であるならば私は愛がありません 私は誰からも愛されていません

はじめから無限の愛の持ち主であるにもかかわらずそう言っている人間もいっぱいいるんです

愛は命 命は本質なんです じゃ愛でないものがどうしてここに生きてましょうか

一物一点愛であるゆえにここに存在しているんです 存在の本質は愛なんです(中略)

肉体が健康になれば完全ではないんです 悩み苦しみから免れれば愛であり完全ではないんです

無限意識 普遍意識 宇宙意識そのものが 神性意識 霊性意識 仏性意識が本質として

これが愛なんです 宿してない人間が七十億の人間の中に一人だっているでしょうか 花々だって愛を受けているがゆえにここに咲き誇っているんです(中略)

 

 

だから私は何十年前です(中略)非常に勘違いしたではないでしょうか

特別な人間が特別な方法で修業して天使になるのかと思っているところで

真栄田岬での明想中です バイブレーションが上がったとき意識が上がったとき

とうとう自分の体は消えて光そのもの

この曇っているところに真夜中

月の輝きもない星の輝きもない真っ暗の中に座っているとき

もう宇宙を貫くほどの光なんです

どこからその光はと思ったら自分なんです

目を開いて周りを見たって 背にしている岩もまったくまったく同じ光 

前に広がる海もまったく同じ光 周囲の草花もまったく同じ光

もう光一元という無限の中にいる自分を体験します

 

そのとき我 光なり すべては光なり

その天の本質がすべてのすべてに現れた姿を見せられたとき

 光なり すべては光なり すべては美しき天使たち 無限に飛び立つ美しき天使たち

 

だからあなたがたは今から天使になろうではなかったんです

ただ花々は花々としてここに存在 天使としてそこに存在するんです

動物がそのものなんです

 

ただ我々は結果という形しか見えぬがゆえに花々が美しく咲き誇っている

あるいは動物がここに生きている 鉱物が存在する 錯覚をしているんです

そこにあるのは天という本質があったんです

 

 

だから花を活ける方々はただ結果なる花々を見てるかぎりは

美しくここに活けることは不可能です

花の背後に実在する本質が見えたとき

その本質を光をもってして示されていくことでしょう

その花々からはそれなりの波動が放っていることを感じることができるでしょう

 

だから花々とてみなさんの愛の波動には反応するんです

ちょうど私が部屋が光一元に変わるのと一緒で

この花々をみなさん自身が真剣に真剣にその本質を見つめてみてください

 

もう花の形ではなく光そのものに変わりますよ 踊り喜ぶ姿が見えるでしょう

動物も鉱物も植物も微生物もすべてのすべては命あるもの

命そのものに生かされているものはすべてみなさんに応えるんです

喜びもします 悲しみもします

 

だから同じ物質だってみなさんの思い あるいは表現その言葉によって

すべて反応が違うんです

 

じゃたとえば金をたとえて一番わかりやすいです

悪い商品を売りつけてもうけた金

あるいは相手を傷つけてまでも殺してでも金を奪う人間

そのような金は金ではないんです その金はもう破壊的な波動を放っています

絶対いい現れ方はしません

 

だから金や物質というものは すべてあなたがたの思いによって動かされるんです

で働きがあるんです

同じ金だって相手を苦しめたり相手を傷つけたり相手を破壊して得た金なんて もうこれは私は死の金と言うんです もうなんの価値もないんです

 

しかしみなさんが兄弟姉妹を生かすためにその金を使ってみてください

その金は非常に輝いています だからお金一枚一枚にだって波動があるんです

 

 

すべてのすべて あってあるものは

すべて天に使わされたるものゆえに天使というんです

 

人間だけが天使となるんではないんです

命与え生かされているものはすべて天使なんです 

天はみなさんが顔を上げて見上げている空を天ではないんです

天とは本質原因なんです 命そのものを天というんです

 

だから天は我が内にあり 天国は我が内にありと説いたのは

本質は我が内に すべての内に どこにでも遍満していることを

天はすべての中にというんです(中略)

 

天地一体 我なり

この現象結果の世界に顕現するためには 天地は一体なんです

 

天だけが存在することはありません

なぜならば見えない天だけで顕現することができるでしょうか

地という表現体があってこそ表現が成り立っているではないでしょうか

それを天地一体 我なりというんです (中略)

 

 

雀一羽とて本質 神の御心とおさずにしてこの地に落ちることはないというのは

原因を命として 原因を神として 原因を本質として受けてないものが

この地に結果世界に現れることは不可能

と説いていることをその意味なんです

 

雀一羽とて本質の御心あるいは神の御心とおさずしてこの地に落ちることはない

蟻一匹が 花一輪 石ころ一個 すべてそこにみなさんが天使の姿が見れるならば

もういつでもいつでも すべてが光としての一体をみなさん感じます

 

そのときみなさんは我は光なり すべては光なりと言い切ります

誰彼だけが光ではないんです

その境地に入ったときはもうあなたがたの姿かたちはないです

ここに あるいはこの建物なんてこの形ではもうないんです

もう光一元の中にいるんです

 

だからたとえば私がバイブレーション上げた状態で

もうお願いされた色紙を書こうなんて その色紙にむかってペンを握っています

もう自分自身が光そのもの 握っているその鉛筆やペンが光そのもの

むかっているその色紙がそのものが光そのもの この世での仕事ができないんです(中略)

 

我々は霊がこの衣装をまとっているから ここで仕事ができているんです

霊そのものであるならば もうこの世の仕事はできないんです

 

そこまでみなさんが高めてみてください 私の光話のすべてが理解できます

人間意識 肉体意識 個人意識という偽我であるかぎり一片も知ること不可能です

だから味わってほしいというのです

だから体験経験でその境地に至ってほしいというのです (中略)

 

一人一人が確実にその根源に向かって進み行けるように努力していきたいと思います

ありがとうございました