「悟りとは 迷いとは」 2010.5.30 台湾での初めてのセミナー

※一部抜粋です

先ほどの明想で身体も心もリラックスできましたか

なぜ真理を理解することができぬのか

あなた方が身も心も緊張しているかぎり真理を受け入れることの難しさ

身体も心もリラックスできたときいっそう深く真理はみなさんにしみこんでいくでしょう

 

悟り迷いを説いてみたいと思います

実相という本質の世界にはいいも悪いもない、善悪もない

相対する二面がない世界、完全意識のみが実在という世界

ならばそこには悟りも迷いもない

 

マーヤの持つこの二元という世界でみなさんは迷い悟り、暑い寒い、あるいは善悪天国地獄、そのようにあなた方は錯覚をしているだけ

じゃ私はなぜ今、悟りと迷いという文字を書き記したのか

それはあなた方に悟り迷いもない、本来は一元という根源があるのみと理解してもらいたいために

 

今日は理解という言葉、文字をみなさんに理解してもらいたい

外側から花々を見て理解している人間は一人もおりません

私はこの花を理解するというならば、花そのものであることを理解といいます

私は神を理解しているというならば、神そのものであることが理解

愛を理解するというならば、愛そのものであってこそ愛の理解

 

ただ本や書物を読んで神なり、誰彼の言葉を聞いて、あなた方は神だというならば神なり

それは何も理解されておりません

 

これは私は宗教宗派を非難否定するではありません

真実なる教えであり、それそのものを理解させる教えであるならば、とうとうその境地に至っていけるではないでしょうか

生涯、我神なりすべては神なりと説いたところで、あるいはみなさんが耳に聞いたところで本や書物から読んだところで、そのものになりきらずして完成はないことを知らねばなりません

 

今先ほども、過去でもなければ未来でもないと言われました

過去でもなく未来でもなく生かされしこの一瞬というこの瞬間に、我神なりという理解力

理解とは神そのものであること

これを成仏といいます、キリスト教では昇天といいます

肉体去ってからの昇天であり成仏であるならば、なんの価値もないことを知らねばなりません

今我々に必要なものは死んでから成仏、死んでから昇天ではなく今肉体持ちながら今生かされているこの一瞬というこの瞬間に、昇天であり成仏であって真のあなた方の姿であることを知ってもらいたい

 

そうあるためには神の理解力です

その理解というならばそのものであることです

どんなに肉体朽ち果てるまで真理を学び、神なり愛なりと説いたところで、そのものでないかぎりなんの価値もない、無価値であることを知らねばなりません

 

オレンジが手渡されて皮をむいて口に投げ込まずして味わえた人間は一人もおりません

だから先ほどの明想はあなた方に皮をむいて口に投げ込んで味わうことを教え説きました

 

私は私自身の自ら歩んだその体験経験をとおして、その皮むきを教え説いていること

だからどの教えがいい、どの教えが悪い、そんな差別分離はどこにも存在しないこと

目指す頂点、この高い山の頂点はひとつであっても登る方法は幾通りあります

その頂点に登る方法を教えているのが、キリストはキリストの教えと説きます

仏教は仏陀の教えと説きます

 

説き方の違い、方法の違いでその本質である根源が違うことはありません

だから実相という根源にとどまっている私からすれば、本来迷い悟りもない世界にとどまっている私が、どうしてない迷い悟りを説かねばならぬのか、たまには無常を感じることもあります

それはあなた方が神を我として受け入れたときに、実相という根源の中にとどまったとき初めてその理解ができるでしょう

 

悟り迷いもない、善も悪もない、闇も光もない

天国地獄もない、完全のみが実在という世界

 

その完全実在という一元の中にあなた方を導くために、いろんな方法いろんな役割で、それをそこに示しているだけにすぎぬことを知ってもらいたい

だからそこにはいろんな明想の方法を説く方がいて当たり前のこと

自らが体験し自らが経験し自ら到達した道を説くのが役割をもった聖人の方々

朝に昼に晩に三食の食事を取りながら、しっかりと肉体に睡眠を与えて道を示している聖人もいます

まったく肉体朽ち果てるまで食事することなく、この肉体横にして睡眠をとることなくまた道を示す聖人もいます

また何カ月も平気で食べない状態でいて、またみなさんとともに楽しむために食することを見せる者もいます

説き方の違い示し方の違いにいいも悪いもないことを知ってもらいたい

 

すべての教えの自分自身に一番ふさわしい部分を取り入れて、それを完成に導けるあなた方であるならばそれはすばらしいことではないでしょうか

世の中には口に投げ込んで味わうことなく即否定する人間もいます

これほど愚かな者はいない、口に投げ込んで初めてその味が理解できることを知らねばなりません

 

愛とは慈悲とは、すべてをいたわり思いやる心が愛であり慈悲の心であると

もちろん慈悲は無限すぎて愛は無限すぎて、私の言葉でこれが愛です、これが慈悲ですとは示すことはできません

だからあなた方の器の大きさ次第で、10の器を持っているならば日々の生活の中に10の愛を50の器を持っているならばその50の器で愛を、100ならば100という形でこの現象の世界に示されています

我々に与えられた一日一日は、日々自らの意識を拡大させ真実なる無限の愛をできるかぎりこの表現体である肉をとおして示すためのことではないでしょうか

 

だからいつも言います、肉体存在の目的とは何なのか

愛を表現するための愛の表現体、愛の伝導体と私はこの肉体存在の目的を説きます

けして憎しみ怒り嫉妬、裁き合うことを目的としてこの肉体が創造されているではありません

 

だからあなた方の内在の神は常にあなた方の内で叫びます

愛を示し生きよ 知恵を示し生きよ 光を示し生きよ

 

なぜ本来みなさんが内在の神の声を聴いてこの肉体を顕現できるならば、あえてこのように光話する、誰かを媒体としてメッセージとかとる必要はありません

神はあなた方の内側で心の扉を叩きながら叫んでいても、その叩く音もノックも聞こえない

叫ぶメッセージも聞こえないがゆえに、かわりにこの媒体をとおしてみなさんの前に大きな声を叫んでいることを知ってもらいたい

みなさんの前に立って叫ぶ私は、誰の声をみなさんに発しているのか

錯覚から覚めよ、幻覚から覚めよ、夢から覚めよとみなさんに叫んでいる声は、あなた方一人一人の内在の神の叫びであることを知らねばなりません

なぜならば私はあなた方の中に、内在しているではないでしょうか

 

昨日の光話のように、私はすべての中に、すべては私の中に

これが全一体感といいます

 

あなた方がこの人は見える、あの人は見えぬと言うならばそれ全一体感なんて言えましょうか

全一体なる境地に至っているならば、今ここに置かれているこの位置で全宇宙すべてを見通していることを知らねばなりません

たとえば山梨に距離を離れたようにあっても、私は私の家族をここで一瞬にしてすべてを見ることができます、すべてを感じとることができます

この宇宙全体に満ち満ちた我であるならば見えぬはずがないではないでしょうか、知らぬはずがないではないでしょうか

それが全体意識と申します、全一体感と申します

 

私は『一命一体』という本を78年前に出していただきました

あなた方がどんなに分離のように感じたところで分離のように見たところで、この宇宙そのもの唯一の命、唯一の体しかないことを知らねばなりません

 

先ほどの明想でも唯一の命、唯一の神ずっと説いておりました

それを今の科学は、我々が説いている唯一の神を唯一の生命を、エネルギーと説きます

科学医学は、この宇宙そのものは唯一のエネルギーが満ちた世界と教えます

動物鉱物植物、万物を生かすのは唯一のエネルギーと教え説いています

だから今の科学医学からして、唯一のエネルギーを唯一の命と置きかえ唯一の神と置きかえるならば、なるほどここは唯一の実在、唯一の神のみが実在であったとその理解はできましょう

 

しかしひとつの体と説いたのは、なかなか理解できぬといいます

なぜならばみなさんは仮相という偽物であるこの結果しか見えぬ目を持っているがゆえに、あなたは男性であり私は女性であり周りを見れば動物や鉱物植物もあって、どうしてひとつの体、一体なんていえるのかといいます

ならば私の物質肉体、あなた方の物質肉体、動物や鉱物植物みなさんが今存在するこの建物

今の科学の力で分析してみてください

質量であることを知るでしょう

その質量を今の科学は電子と陽子といいます

唯一の電子陽子という質量が、動物鉱物植物人間60何億、すべてを組み立てられていることを知るでしょう

その電子陽子をさらに科学の力で分析するならば、電子陽子素粒子微粒子クォーツ、あとはいわれたように光そのものとみなさんは知るでしょう

 

だから本来はすべてが光そのものです

光がさまざまな形を造り上げて、粗いバイブレーションでここに映し見せていることほかにないことを知ってもらいたい

 

明想内観いろんな方法をみなさんの目の前に置かれていましょう

その理解に入り行くための方法ならばすべてはすばらしいもの

なぜならば人類はなぜ幾転生も幾転生も死んでは生まれ、生まれては死に輪廻転生を繰り返してきたのか

何か知りたい、何かつかみたい、何か得たい、何か悟りたい

ここまで我々が歩んできた道のりは一人一人が最終目的である、すべての根源である一なる神に入るための目的であることを知ってもらいたい

 

本来全世界の人間が11は答えて2であるように、60何億一人一人が今生かされし目的は真実の我に帰る、ただそのひとつの目的であるにもかかわらず、人間はそこに迷い悟りというものを創り上げて、自らの本質を本性を見失っていることを知ってもらいたい

この二面のマーヤという世界でみなさんがもがくかぎり、悟りだ迷いだ善だ悪だ、いいもの悪いもの、そのような二面に振り回され混乱することほかにありません

 

早く根源である一元の中にとどまれたあなた方になってもらいたい

そこにあなた方を導かんがためにいろんな明想方法を教え説いていることを知ってもらいたい

無限という本質の世界に融合さえできれば、どんな方法でも価値あるものではないでしょうか

もちろんその教え説いている者が迷っているかぎりそれは無価値です

そういう者は日本でもはき捨てるほどいます

自らは神を味わってなくして神を説いている愚かなる者、宇宙真理を理解してなくその宇宙真理を説いている愚かなる者、それは無価値といいます

 

価値ある者ならば神を説くというならば、60何億世界の人間から否定されようが反対されようが我は神なり、その中にいてこそ神が説けることを知らねばなりません

おそらくその神を説いている偽者ならば、あなたは今神を否定しなければ十字架にはりつけるというならばさっさと逃げることでしょう

 

イエスキリストは肉体は消すも現すも、自由自在にその能力は携えておりました

しかしあれほどの仕打ちを受けて十字架にはりつけられても、全世界の人間に真実の愛を示さんがためにあの方法を取っただけ

裁判で最後の一言であなたが今神を否定しさえすれば、十字架に追いやることはないと言われました

その裁判で最後の一言が、あなたは神ですかと言われたとき、そのとおり私は神ですと断言し言い切りました

あの理解のできない裁判官、神を偶像崇拝、盲信狂信している裁判官からすれば、その理解ができぬゆえにイエスキリストを十字架に追いやったこと

 

私はこの肉体は神の愛の表現体、愛の伝導体、神の仮の衣装と説いているように、イエスキリストはこの肉体を神の宮なりと説きました、仏の宮なりと説きました

あなた方がこの宮を破壊したところで、私は3日でまた組み立ててあなた方の目の前に現れ示すだろうと

しかしあの愚かなる者たちは大きな神殿を勘違いして、何十年間我々が建て造ったあの宮を3日間で建てることができるのかと非難しました

このように真理にたいして無力なる者たちは常に真実に反発してまいりました

 

だから私もよく言われます

ヨーロッパでもアメリカでも今のキリスト教は真実のキリストを理解していないがゆえに、真実のキリストをあなたは説くことにおいて要注意と言われます

なぜならばキリストはイエスだけがキリストと説いている教えを受けた者からすれば、私が全体のキリストを説くことにおいて非常に反発します

私は仏陀よりは、幾転生という人生の中でキリストという言葉を用いて教え説いた体験があるがゆえに、キリストキリストキリストという言葉をよく用います

 

東京のある会場で私はこのように質問を受けました

あなたは一時間の光話の中でキリストキリストキリストをよく説くけど、あなたは過去においてはキリストの弟子だったのかと質問を受けました

あなた方も昨日説いた、私の説いたキリストが理解できぬならば、あなた方もつまずくでしょう

 

西洋ではすべての本質根源をキリストと説きます

つまり無限なる神が人間の中にあってキリストという表現をします

東洋で無限の神が人間の中にあって仏陀と表現します

キリストとは仏陀とは、すべての存在の本質根源を意味しているではないでしょうか

 

私はその者にどのように答えたのか、私はキリストの弟子であるとともにキリストと説きました

みなさんにその意味が理解できましょうか

 

先ほどから言っているこの肉体という表現体は、キリストの表現をするためのキリストの弟子です、みなさんも同じこと

しかしこの肉体の、みなさん一人一人の内在の神は、それキリストとみなさんが言えるならばキリストはすべての生かし主

本質見れば我はキリストなり

結果という表現体を見れば、キリストの御心を表現するための弟子と言えるではないでしょうか、あなた方も同じことが言えます

 

私はキリストの弟子であるとともにキリストそのものであると

東洋に置き換えれば、仏陀の弟子であるとともに仏陀そのものですと

これが真実であることを知ってもらいたい

 

だから我々は肉体去ってからの昇天成仏ではなく、過去でもなく未来でもなく今生かされしこの一瞬というこの実在を、昇天成仏でみなさんにそうあってもらいたい

そのためには言葉でもなく、本や書物から目で見る文字でもなく、理解そのものであることです

神の理解とは神そのものであり、愛の理解とは愛そのものであり、真理の理解は真理そのものであることを理解とみなさんは受け止めてもらいたい

いろんな明想の方法それで無限という根源の中に理解に至ってもらいたい