「 命はひとつ すべてはひとつの命 ひとつの命がすべての中に 」 2019.1.29 命ぬ琉球  一部抜粋

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2019.1命ぬ光話「命はひとつ すべてはひとつの命 ひとつの命がすべて
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命なり あなたがたも命なり

我の命 あなたがたの命は 全体の命

それはすべての本質実体

 

すべてはひとつの命の中に生かされ

ひとつの命がすべての中に 生き働いているならば

ひとつの命を知る者は 我すべてなり すべては我なり

我は全体であり 全体 我なり

もうみなさんがその境地に至れば

すべてのすべてあってあるものの中に おのれを感じます

 

いつもいつも 毎月沖縄のセミナーに参加してくださっている中国のお母さん

ちょうど腰の方をヒーリングしているときです

命はひとつですから そのひとつの命がお母さんの魂を使って 私に叫ぶんです

何百何千何万という 転生という人生をかけて

私はこの本質を求めてきたんだと言うんです

今生こそ解脱に至りたいと

 

なんてお母さんの魂は熟しているのかと思いました(中略)

じゃ私がそう思ったんです(中略)もう少し肉体の面で若くして学んでいたならば

あるいは出会っていたならばと思ったら これが時期ですと言うんです (中略)

 

だからみなさんも本質に帰る時期は 昨日でもないです で明日でもないんです

今のこの一瞬この瞬間が みなさん時期なんです (中略)

 

 

常に明想をとおして 根源の中に至っているとき

その本質根源の世界から この世界を眺め見たとき

みなさんひとりびとりが 内在の神はみなさんの心の扉を叩きながら 常に訴えているんです

 

私を受け入れよ 早く私の元に帰って来てほしい これが神が神としての願いなんです

 

神はみなさんにそれ以上な願いをなにも望んでいないんです

花々を供えてください 果物を供えてください ごちそうを供えろとは説いていないんです

 

磨き上げた美しい心に 無限の愛で満たし ならば

私の元に帰って来ることができるだろうと常に扉は叩かれているんです

 

しかし叩いても叩いても みんな知らん顔 もうみな知らんふり

思っているのは意識しているのは 常にこの現象という 結果の世界のことだけ (中略)

 

それはあなたがたが愛しているのは あなたがたが求めているのは あなたがたが必要としているのは この物質ではないのかと(中略)

どうして必要ともされてない私が 求められてもない私が 自由意思を侵して それをみなさんに与えることができぬという

 

どうしてどうして 石を欲しているものに 石以上与えることができるのかと

とかげを求めている者に とかげ以上のものを与えることができるのかと説いているんです 


 

真実を常に求め 常に みなさん本質の中に至ってみてください

そのものなのに なぜ求めて来たんだろうと言うでしょう

その努力というのは もちろん本質の世界に至ればそのものですから 求める必要もないし

しかし幾転生も幾転生も 本質から分離して生きているかぎりは追求しなければなりません

自分とは何者なんだろう 真実の自分とはなんなのかは追求しなければなりません

 

それを 求めて求めて求め続けよ 求めたものは与えられる

探して探して探し続けよ 探しものは見つかる

叩いて叩いて叩き続けよ 叩いた扉は開かれる

心を尽くし 思いを尽くし 精神を尽くし 魂を尽くし 力を尽くして 

我が内なる神を愛せよ 我が内なる本質を求めよ

我が内なる本質を理解してほしい(中略)

 

 

しかしみなさんを見れば 信じているのも知っているのも常に物質という結果

私の肉体は調子が悪い どこそこが不調和

なにを信じてましょうか

その本質よりも肉体なんです あるいは本質よりも物質なんです

本質その原因をおいて結果を信じているんです

 

今日ももう目を開くとともに 物だ 金だ 物質だ 私 それを否定しなさいとは説きません 粗末にしなさいとは言ってません 

ただみなさん自身の思いが みなさんの思っているところに心はあるんです

じゃ心は本来は 本質に置くべきなんです (中略)


粗末にするのと 執着とは違います 

大事にするということと 執着とは違います

すべての苦しみは 執着から始まってるんです

肉体への執着 家族への執着 あるいはこの現象結果の世界への執着

すべて執着が みなさんの苦しみを生み出しているんです

 

だからたとえばこの学びに来るまでは 十の執着を背負っている者が理解することにおいて

ひとつ克服し 二つあるいは三つとこのように少なくしただけみなさんは

なんて今までとの生活が 今までとの生き方がこうも違うのかという方々いっぱいいるんです

それは執着を下ろした結果なんです

 

あの仏教では あなたがたが肉体を去ったあとは三途の川を渡すという表現があります 三途の川

三途の川が準備されて みなさんそこで泳がされるんではないんです 渡されるんではないんです

三途の川を渡れる 渡れないというのは 執着を背負っているか 背負ってないかという意味なんです

 

一点だって執着背負って肉体脱げば そのひとつの執着を脱ぎ捨てるまで克服するまで また何百何千という転生を繰り返さねばならないんです 

 

何万年の転生させられた法則 今ここに解けたり

幾転生という人生の過程をとおして 背負ってきた劫 カルマなるもの

すべてを焼き尽くした者が すべてをのみ込めた者が

その三途の川余裕に渡って行けるんです

 

ある女性が それは沖縄の方でした 

ある女性が私に 肉体という衣装をまとっているかぎりは

絶対執着は脱ぎ捨てることはできぬと

私に断言して言い切った女性がいたんです 反発した人間がいたんです

私に断言してそう言い切ったその女性(中略)その夜に明想で見せられたことが

私と私に反発したその女性二人して

その大海に浮かぶ小さな小さな岩の上に立たされています

あのオリンピックとかで その種目で高跳び込みというのがあります 高いところから跳び込む 

なにをもって採点しましょうか

できるかぎり この水の中にスムーズに跳び込めた者

あまりしぶきも上げることなく この波紋も起こさぬ者が優勝する

見事にそこに水の中に一体となっていくこと

 

じゃその女性は 神に跳び込めと言われたとき この岩から海に跳び込みました

どうしましょうか しぶき 波紋

で もう一度岩の上に立てと言われて戻りました

で 今度上江洲よ 跳び込めって言われて 私跳び込まされました

一滴もしぶきも上げません 一輪のその波紋も波立たせません

違いがわかるかと言われました その女性はなんの違いなのかと

跳び込んだときに しぶき 波紋

それがこの現象世界の執着を意味すると言われました

じゃあなたと上江洲の違いは 一滴のしぶきも立ちません上げません 一点の波紋も広げません(中略)

 

まさにあなたが言われたとおり

我々肉体衣装をまとっていながら この現象世界を完全に超越することができることを 

神に昨日の夜中には教えられました と言うんです

 

肉体衣装をまとっていながら 

 衣装なのか  命なりなのか

誰もほとんどの方は この沖縄のセミナーに参加するのに 飛行機を乗って来られたでしょう

飛行機が本質なのか 飛行機の操縦かんを握っているパイロットが本質なのかです

あるいは船の舵を握っている船長が主人なのか 船が主人なのかなんです

多くの人間は あたかも飛行機が自分 船が自分と錯覚してるんです

船は飛行機は 乗り物なんです

船は乗り船であり飛行機は ここに至るまでの乗り物として みなさんが愛してきただけに過ぎないんです

 

肉体は真実の私 真実のあなたがたではありません

肉体は一転生人生 航路旅するための乗り船であり 表現するための仮の衣装であり 仮の姿であること

肉体自ら表現すること 生きることができるでしょうか

肉体自ら無なり 肉体自らゼロなり 肉体自らなんの力もないんです

肉体に智慧 慈悲すべての能力を与え生かしているのは命そのもの(中略)

 

 

 

みなさんもさまざまな問題を納得いくほど  

みなさん自身の内側で解決できるあなたがたになってほしいんです (中略)

みなさんは 生まれた者には死が訪れ 始めあるものに終わりがあり

創られしものにはかならず破壊が来ると説いているではないでしょうか

花々はいつか枯れて散るし 肉体はいつかは腐敗するし 大きな岩だって風化していくし

永遠のものはひとつもないゆえに

仏教ではこの世は無常世界 私はこの世は影 幻影の世界(中略)

 

この物質というものは 持てば持っただけみなさんは

影や幻 幻影を 無常なものを背負っているということになるんです

まぁもちろんまたそれは 持っていても苦しんでない人間もいます 執着しないゆえに

すべてそれは 兄弟姉妹のために正しく使うための物質であることを理解できる者は苦しまないです

じゃ私の物よ 私の物よ 私の所有物よ 自己欲望のために使いたい者からすれば苦しいんです(中略)

粗末にしなさいではありません

大切にすることと執着とは違います(中略)

執着は 執着している人間も苦しい 執着されている人間も苦しい

物質そのものでもそう

執着されれば みなさんは物質は 言葉も話さない 表現も見えないようだけど

執着はそのものを苦しめていることを知ってもらいたい

 

たとえばみなさんが大切に飼っている犬や猫や みなさんの周りにいる動物だって

人間に執着されれば 成長のために進化のために去りたいんだけど 去れないということがあるんです

また同じ家族の中でもそう

今肉体という衣装を脱げば早く成長 早く進化で上昇するにもかかわらず

執着しているがゆえに脱ぐに脱げない

その成長を遅らせている方々のなんて多いことか 

 

だからみなさんが 本当にその病んでいる方々苦しんでいる方々に思うことは

神の御心にゆだねます が一番いい思いと私は言うんです

まだみなさん自身に この者をどう対処すればいいのか

どういう思いで どういう方法で手伝えばいいのかが理解できないならば

まだ見えないならば 一番一番いい方法は

もうこの者を神の御心にゆだねます

なぜならば すべてを知るのは神なんです

我でどうしようこうしようは もっともっと糸はもつれるんです

どうすべきが見えるならば それは対処の方法もあります 完璧な方法で

しかし癒したがゆえにカルマ背負わすということもあれば

癒したがゆえにカルマを背負うということもあるんです

それが見えなければ もう本質である神の御心にゆだねるしかないではないでしょうか

神の御心にゆだねます

ヨガナンダもあの小鹿を拾ってきました

親からはぐれたのか 親が死んだのか その親を失った見失っているその小鹿を拾ってきて もう同じベッドで寝かすほどの執着をしていました

一日に一回ミルクを与えて もうこれからどうしても町へ仕事で出ないといけない

もうミルクを与えたから絶対与えてはいけない

子供たちに注意したにもかかわらず もうある友達がそれを忘れて いっぱいミルク与えました

もう死にそうですってある子供から言われたときに

どうしてもこの鹿を生かしてほしい生かしてほしいで

もうあの想念の力 想念の強さでそう願ったとき

もう死にそうになっているその小鹿は また立ち上がって歩き出しました

 

しかしその晩にその小鹿は ヨガナンダの前に夢で現れました まぁ明想中でもいいでしょう

私は進化成長のために もうここを去りたいんだけど

あなたの執着ゆえに去ることができぬと現れたんです

とんでもない間違いに気がつきました 

とんでもない間違いを犯していることを意識したとき 申し訳ないと謝ったとき

即その小鹿は衣装を脱いだという その事実の言葉があるんです

 

だから肉体という衣装 また動物や鉱物植物でもいい 

この見える世界から去るということは

これは むやたらにそうしているんではないんです

成長進化のためにちょうど とかげや蛇やあの海老が

常にすべて脱皮で成長していくことのように

その肉体という衣装を脱ぐことは 成長進化のために脱いでいくんです

ただむやみに衣装を脱ぎ捨てて去って行くんではないんです

我々も衣装を脱ぎ捨てて また衣装をまとい また衣装を脱ぎ捨てて

また衣装をまとって ここまでここまで歩んで来たんです(中略)

 

みなさんは今解脱へ向かって飛行機で旅しています

今生の肉的な私の親兄弟なんて牛車です

たとえばこの距離を飛行機で飛ぶのと牛車で行くのと

はたしてどれほどの差をつけるでしょう

本当に今 今生その本質に意識を向けてない方々 向かえない方々は あと何百万という転生を必要とします

だからあなたがたの魂の熟している そのことを理解してほしいと思うんです

もう今生こそ かならずやそれを みなさんやり抜いてほしい

これがすべてなんです 神我覚醒

それ以上それ以下の目的はないんです

 

みなさん病気癒し病気癒し もちろん病気を癒すなとは言いません(中略)

本来は私 この本質という世界から観るならば 根源世界から観るならば

病気癒しなんて みなさんが毎日乗り回している車を板金塗装しているようなものなんです

たとえば もうちょっと擦り傷をつけた ちょっとへっこんだ 車を板金塗装します

板金塗装で外側もピカピカになりました また塗装を塗り替えて

じゃ中身は 中身がボロボロならば なんの価値もないんです

だから私がお母さんに教えられてきたことは 

あなたは外を飾るあなたであってはいけない

常にあなたは愛で慈悲で心を飾れるあなたでありなさい

と私はもう小さいときからそれは 私は教えられてきました(中略)

 

外を飾る者よりも 愛で慈悲で心を飾れるならば 

それは一瞬一瞬愛で生きよ 一瞬一瞬慈悲で生きよなんです

だから不死不滅永遠の美しさは神我であるあなたがたであって 外なるものではないんです

 

しかしみなさんが 内が輝けば その内なる輝きは外に顕現されます

みなさんも理解しているだけ 身口意が正されてきたではないでしょうか

できるかぎり神として愛の思い できるかぎり神として愛の言葉遣い

できるかぎり神として愛の表現

みなさんここまで成長してきたではないでしょうか

 

今までは 今日本で説いているようにもう自由意思

言葉は 思いは 表現はどうでも自分の自由ではないのか という 政治家もそう説いています

そのような間違った自由意思において人間は苦しみもがいているんです 

間違った自由意思において戦い殺し合っているんです 

本当の自由というのは 愛そのものを生きてこそ そこに本当の自由があるんです

 

今までの我々の思い 言葉 表現は

どう思おうが自分の思いではないのか 自分の言葉ではないか 自分の表現ではないか

思いたい放題 言いたい放題 やりたい放題

それで自らを苦しめてきたんです

なぜならば良き思いも悪き思いも はね返りは自分に

良き言葉遣いも 悪き言葉遣いも はね返ってくるのは自分自身 もう表現もそのとおり

それで我々は 人生をさんざん苦しみを味わってきたではないでしょうか

 

 

もうそろそろ気がつかねばなりません

本当の自由意思というのは 真実の我を知り

根源の世界に帰るために 自由が与えられたんです

 

崖からすべり落ちてすりむく足の傷は ほうっておいても癒えます

しかしこの口をすべらして相手の心を傷つけるならば

その傷は生涯癒えぬということもあるということを知らねばなりません

我々に与えられた身口意は

兄弟姉妹を不愉快な思いを与えるためでもない 傷つけるためでもない 苦しめるためでもない

互いに神道という道を歩む中で 助け合って手を取り合って

根源世界に帰るために我々は身口意を与え

この現象の世界に生かされていることを知ってもらいたい(中略)

 

常に本質として

本質の思いは完全です 本質の言葉は完全です 本質の表現は完全です

それを本質を神とたとえて

神が見給うがごとく我見ます

神が思い給うがごとく我思います

神が語り給うがごとく我語ります 

神が表現し給うがごとく我表現しますなんです

 

それが万物の霊長として我々が当たり前の表現なんです

思いやること いたわること 愛生きることは特別なことではないんです

当たり前のことを 当たり前のようにやっていくのが本来の我々の姿なんです(中略)

 

 

我々も神に愛され 守護神に愛され すべてに愛されるあなたがたであってほしい

しかし今の人間は欲張りですから 自分は一人も愛せないのに すべてから愛されたい

なぜすべては私を愛してくれないんだろう

愛せない者が誰に愛されましょうかというんです

 

我はすべてであり すべては我なり 我は全体であり 全体は我なりであるならば

全体を我々は すべてを無限に愛し生きれるように

一瞬一瞬我々は生きていきたいと思います ありがとうございました